一字千金

2016-06-27

Vol.10「NO EXCUSE=言い訳しても始まらない」

奥井俊史/アンクル・アウルコンサルティング代表

1990年頃である。大組織内での自身のあり方に違和感を感じていたので、友人がいたヘッドハンティング会社に「業種業態も規模の大小も不問、ただし組織のトップとして働ける企業があれば紹介してほしい」と頼んだ。

しばらくして、米国の有名ブランドのバイク製造業者が新規設立した日本法人の代表職を求めているとの話がきたので、その企業の事情もほとんど調べもせずに面接に応じたところ、幸運にも採用された。当時、日系自動車会社から外資系の自動車販売会社への転職が盛んだったが、バイク業界への移動は稀だった。

軽率に移籍した罰が当たったのか、該社で働き始めて驚いた。有名ブランドを扱う企業だが、オーナー社長であった総輸入元・販売元を、米国本社が100%買い取り完全子会社化されていた。20人弱のスタッフも組織系統化されておらず、企業教育もなく、各人はばらばら。職務分担もなおざりで、指揮命令系統も不明確な無統制さ。やる気も感じられない、おぞましさだった。

しかし、自らが選んだ道だ。後戻りはできない。「NO EXCUSE=今さら言い訳などできない」と気を取り直してみたが、浮ついた強気で組織運営をしたためか、スタッフが一致して一部の販売店と結束して、「奥井とはやってゆけない」と米国本社にブラックメールし、危うく私の首が飛びかねない事態を招来した。社長就任後、わずか2カ月目だ。

誠に幸いにも私を採用面接した副社長が、会長兼CEOに昇格しており、首の皮一枚で何とか居残ることができた。呼び出された本社でも「NO EXCUSE」を通し、言い訳はせず、「混乱の原因は全て私の行動にあり、深く反省して今後に当たる」と話したところ、幸運にも「今一度だけチャンスを与えると」いう寛大な処遇を得た。

その後、足かけ20年間、社長として一切言い訳せずに、「学ぶが真似ず」の、差別化されたマーケティグを実践した。気付いてみると、この期間はバブル崩壊後の真に「失われた20年」に一致した。そのためか二輪車市場は終始一貫継続凋落で、競合各社の業績は伸びなかったので、大型バイクの市場で圧倒的なナンバー1になることができた。

「全ては言い訳していても始まらない」。人生とはそんなものではないか。

プロフィール

奥井俊史氏 (おくい・としふみ)

1942年大阪府生まれ。65年トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)入社。75年より東南アジア市場の営業担当し、80年トヨタ北京事務所の初代所長に就任。83年より中近東市場で営業担当。90年にハーレーダビッドソンジャパン入社、91年に同社社長に就任し、19年間に数々の施策を展開し日本での大型二輪市場でトップブランドに育て上げた。09年より現職。