考えるリーダー/Interview インタビュー

2018-06-15

転校10回、「環境変化」苦にならず ―上―

石井謙司社長

「責任は自分で」「使える男になれ」と

ヤマハ発動機販売では3月、石井謙司氏が社長に就いた。組織運営においては人生での体験や仕事での経験、知識が大きく反映される。本紙では石井謙司社長に、経歴や仕事におけるこれまでの体験、経験、その時々の考えなどを聞いた。

――仕事での経歴は。
「1987年にヤマハ発動機(ヤマハ)に入社しました。二輪車市場が盛り上がっていた時代です。高校時代の恩師がヤマハ狂で、感化されてヤマハのバイクとブランドが好きになり、ヤマハに入社したいと思っていました。レースも好きで大学生時代は鈴鹿サーキットでオフィシャルのアルバイトをしました。8時間耐久ロードレースでケニー・ロバーツ選手と平忠彦選手の走りに感動したのを今も鮮明に覚えています。

入社後10年間は販売店さんを訪問したり、イベントなどを一緒に行う国内二輪営業を担当。94年に電動アシスト自転車のPASが発売されましたが、ヤマハらしい製品だと思って、バイクとともに積極的に取り組み販売しました。そうしたこともあってか、PAS部門へ異動となり約6年間、営業企画や販路政策・商品企画を担当しました。その後、ヤマハ本社に戻りPAS事業部で商品企画や営業企画の責任者として約11年間取り組みました。14年にヤマハ発動機販売へ出向となり、現在に至ります」

――学生時代はどの分野を学んだのか。
「大学では経営学部で、主に製造業について学びました。前述の通り、高校時代の恩師の影響もあり『バイクはヤマハだ。ヤマハに入りたい(就職)』という想いが強かったので、メーカーへの就職を考え、特に自動車業界の勉強をしました。当時は「日本的経営」という言葉がまだ健在で、トヨタの事例を中心に世界から注目されていました。しかし、年功序列や終身雇用などの特徴は古いとも言われはじめており、日本的経営の良い点に新しい要素を加えることでさらに最強の経営になる、ということを学びました。トヨタのカンバン方式やジャストインタイムなど随分勉強しました」

――入社後は営業関連の経験が長い。
「新人時代はローカルの営業所へ配属されました。スーツが汚れると言われ渡されたジャンパーを着て、バイクの縛り方から教わりトラックに積んで販売店さんへ営業活動しました。

当時は二輪車が売れている時代で、規模拡大の営業スタイルでした。新聞折り込みチラシやDMポスティング、展示会イベントなど。だから販売店さんとの一体感はものすごくありました。営業と言うよりは〝仲間・同士〟という感じでしたね」

――上司からの教えや教訓を挙げるとすると。
「他社との競争も熾烈でした。その後、市場が落ち着いてきた頃でも、現場ではシェア争いがしばらく続いた印象でした。辛いこともありましたが、私はヤマハが好きで入社したので、我慢できました。

上司や先輩からは、苦しい時に、『チーム力で乗り切る』ことや『ヤマハが好き』という風土・文化を教わり、またそれがモチベーション・達成感につながることを教わりました。こうした風土や文化が今も大事だと思っていますし、脈々と継承していきたいですね。また、ヤマハは突発的課題の発生時や苦境の時などに強い組織であると思っています。仲間同士で助け合い問題を解決するなど、こうした経験を何度もしました。ヤマハが好きだという気持ちが団結力にも繋がっていると感じています」

――自身で長所と短所を挙げるとすれば。
「長所と言うよりタイプになりますが、どちらかと言えば直感で動く感情型の方です。置かれた状況の中で、まずは感覚的に考え、その裏づけとして数字などの定量的な検証や分析を行い、最終判断をします。

ただ、会社の経営としては、当然、定量的な分析・判断は重要ですので、必ず仮説を立て、検証(裏づけ)すること、また熟考することにしています。これを行わないとうまくいかないことが多いですね。

他方で、対外交渉や環境適合性などはわりと得意かもしれません。子供の頃は親が転勤族で幼稚園から高校時代まで10回引越ししており、典型的な転校生でした。だから転校先の学校で新しい環境に馴染むためのスキルが自然に身についたのだと思います。あまりに転校が多いので、小学生の高学年では、職員室に行き自分で転校手続きを行っていましたね」

――両親からの記憶に残る教えでは。
「あまりうるさく言われた記憶はありません。子供に任せるという感じでした。そのかわりに、すべて自分で責任を取ってやれという印象です。中学生の頃、自転車でサイクリングに出かけ、1週間家に帰らないことなど、親はよく行かせてくれたと今は思います。そのかわり『自分の行動は、自分で責任を取れるようにしろ』と言われてきた記憶があります。

それと社会人になってからですが、父からは『使える男になれ』と言われました。問題があればそれを拾って解決するような、そんな人になれ、ということです。そうした教えは今でも生きていて、問題を拾いに行ってよくハマリますね。今でも苦労の繰り返しです」

紙面掲載日:2018年6月15