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2018-05-25

新規“ホンダドリーム”で唯一の女性オーナー ホンダドリーム大牟田 三井さんに注目

本田技研工業(八郷隆弘社長)とホンダモーターサイクルジャパン(HMJ/加藤千明社長)がかねてより進めている国内二輪車の新販売網が、4月1日に正式にスタートした。全国に145拠点の設置を予定している「ホンダドリーム」だが4月1日現在、既に全国で135拠点をみている。その4月1日に新規オープンしたところで唯一女性オーナーの店があり、大きく話題を集めている。これは㈱三井グループ(福岡県大牟田市、三井千賀子代表取締役社長)の下に開設した「ホンダドリーム大牟田」である。オーナーの三井千賀子社長はまだ44歳という若さながらも、波瀾万丈とも言える道を歩き、今日に至っている。ホンダの新販売網スタートにあたり、極めて特異な存在として、「ホンダドリーム大牟田」の成り立ちにスポットを当ててみることにした。

「二輪車販売事業を“100年~200年事業”として後世に残したい」

三井千賀子さん(以下・千賀子さん)の父・邦廣氏はホンダSF久留米(福岡県久留米市)のフロントマンとして勤務し、全国のホンダSFフロントマンコンテストで〝ベスト7〟に選ばれるほどの優秀なフロントマンだった。また、その邦廣氏はホンダSF福岡で受付として働いていた〝てつよ〟さんに一目惚れして大恋愛の末結婚。千賀子さんと弟の康嗣さんの2子を授かった。

邦廣氏は13年間努めたホンダSFを198110月に退職し、ホンダを主力にしたバイクショップを開業。88年に屋号を「ホンダウイング三井」に改め、事業は順調に発展した。しかし、邦廣氏は2004年、わずか8カ月の患いで他界、肝臓癌だった。

一方、千賀子さんは福岡の筑紫女学院短期大学英文科を卒業し、福岡に本社を置くレストランや弁当屋などを展開する〝プレナス〟に入社。英語力を生かして食材の輸入業務を担当していたが、3年で退職。語学力を高めるため米国・カリフォルニア州立大学(UCI)へ3年次編入で留学した。米国では、レストランなどでアルバイト(プレナスが保証人となり就労ピザを取得)もした。

ところが、3年生を修了時点で自宅より帰国命令があり、4年次を休学して帰国(現在もUCIは休学中で、いずれは復学したいと考えている)し、再びプレナスへ。主な仕事は社員教育と国内各大学などに出向いて社員獲得のための「会社説明会」などであった。

再び3年が過ぎたころ、会社の上司が独立して食品輸入会社を立ち上げることになり、「是非手伝ってほしい」という誘いがあり、その気になっていた矢先、父・邦廣さんの発病の知らせが入り、帰宅すると余命1年という。気が動転せんばかりの驚きと淋しさに打ちのめされた。

しかし、千賀子さんはすぐ気を取り直し、直ちに会社を辞め、上司の誘いも断り、父のバイクショップで働き始めた。当時、弟の康嗣さんは高校卒業後、両親の奨める大学進学を断り、父のバイクショップを継ぎたいと、ホンダ学園に入学し1年生だった。

千賀子さんは「なんとしても(父が作りあげた)バイクショップを継ぎ、弟を立派に育てあげたい」と、二輪車関連雑誌や専門書を読みあさり、猛勉強し、バイクの知識を修得したという。さらに販売の実務、業界内の対応については、入院中の父に、その都度教えてもらった。邦廣氏の病状は医者が当初予告していた通り、入院から約8カ月という早さで逝去した。04年1月のことで、享年55歳。

千賀子さんは、父・邦廣氏の死去と同時にホンダウイング三井の社長に就任し、邦廣氏闘病中に落ち込んだ業績の挽回に全力をあげた。千賀子さん29歳の時である。千賀子さんの社長就任については、母・てつよさんが「女性としての幸せを考えてほしい」と反対し、周囲の人たちもこぞって「バイク販売など男の仕事で、女がやっていけるわけがない」と反対した。

しかし、千賀子さんは①父が始めた仕事を終わらせてはいけない。この仕事を残すことは父の生きた証である②弟・康嗣さんは高校時代から父の後を継ぐことを言明し、大学進学せずホンダ学園に進んだ。この弟の意志を生かさねばならないが、まだ専門学校1年生の弟では、会社は継げない。弟を立派に育てあげる責任がある③周囲の人たちは、声を揃えて〝女の身〟ではバイクショップ経営は無理と言うが、その人たちの言葉を見返し、立派に発展させてみせる――などの理由から決断したという。

特に〝女には無理〟という言葉には、強い反発の気持ちが湧き、「見ていろ、その言葉を見返してやる」の気持ちで、がむしゃらに突っ走ってきたという。

千賀子さんが社長就任後は、業績も着々と高まった。来店する顧客から「ホンダ車とは異なる特徴を持つ他銘柄にも乗ってみたい」などの要望が多く聞かれるようになった。

「なんとかこうした顧客の要望にも応えてあげたい」という思いから、〝ホンダウイング〟の資格を返上、肩書のないバイクショップならば他銘柄も扱えることを考えた。だが、本心から「ホンダ製品の品質は素晴らしい」という思いと、「父の代から永年ホンダさんに世話になり今日がある」という思いから、ホンダ中心の販売には変わりない姿勢で取り組んだ。

ホンダウイングを返上した新しい社名は「バイクショップ三井」とした。この新社名に改めた後も、千賀子社長の積極的な取り組みが功を奏し、さらに発展を遂げ、先代・邦廣社長の闘

病・死去前後に、一時業績不振となり、金融機関からの借入金もあったが、2年以内にこれも返済し、無借金の経営体質にしたばかりか、5年前には大牟田の中心部に、約1億円を投じて新店舗の「バイクショップ三井大牟田店(大牟田市不知火町2丁目8-1)」を開設した。店長は弟の三井康嗣氏。同店の敷地面積は約200坪、建物は鉄骨2階建てで1階の約70坪が店舗。2階は康嗣氏の住居になっている。

さらに千賀子社長は、会社の経営だけでなく、AJ九州の前身、福岡県オートバイ販売協議会、福岡県オートバイ事業協同組合(AJ福岡)の結成以来組合運営に参加し、監事役の重責を担った。さらに熊本を除く九州全域に事業活動を広げたAJ九州発足にあっては理事に選任されたが辞退し、これまで通り監事に就任するなど、業界活動にも貢献している。このほか、NPO活動の〝ストップ・ザ・飲酒運転〟にも力を入れるなど、いろいろなボランティア活動にも積極的に加わっている。

そうした千賀子社長の集大成とも言えるのが、ホンダ新販売網政策

に基づく「ホンダドリーム」加入である。これは新会社「三井グループ」設立の下に、「ホンダドリーム大牟田」を開設したもの。このホンダドリーム店開設について、千賀子社長は「将来の二輪車販売事業を考えた時、ドリーム店に加わるのが事業の発展に繋がり、現在の二輪車販売事業を、今後〝100年~200年事業〟として後世に残していける」と考えたとしている。「とりあえずは、弟・康嗣には子どもが2人(男女)いるが、この2人の子どもにドリーム店とバイクショップ三井大牟田店を1店ずつ残してやりたい」とも語る。

新しくスタートしたホンダドリーム大牟田は、バイクショップ三井時代の店舗に約5000万円を投じて改装したもので、敷地面積は約140坪、建物はエレベーター付きの鉄骨2階建て計約120坪、1階はショールーム30坪、サービス工場(認証工場)と事務所が各15坪と10坪、2階はショールーム45坪、ストックルームが20坪といったレイアウト。1~2階のショールームには、合わせて常時50台前後の車両を展示している。

売上目標は、旧バイクショップ三井時代が月商1000万~1200万円だったため、ドリーム店になってからは、この2倍の売り上げを目標にしている。

この目標達成のためには①店舗を楽しいバイクライフを育んでもらえる場にする②女性顧客の拡大を目指す③バイクの楽しさを理解してもらうためのイベントを毎月1回以上開催する――などを目指したいとしている。

▼ホンダドリーム大牟田

(三井千賀子代表取締役社長)=福岡県大牟田市橘934TEL0944585330)、10時~19時、定休水曜・第3火曜


母・てつよさん㊧も経理面で娘を支える


ペット好きな千賀子さん。店の看板犬ビンゴ(ラブラド―ルレトリバー)と


店舗は九州新幹線新大牟田駅から車で約10分、県道10号線沿いに立地

紙面掲載日:2018年5月25