カワサキモータースジャパン(KMJ/寺西猛社長)は、新しい全国販売網政策に基づく「カワサキ・プラザネットワーク」づくりに取り組んでいる。思えばカワサキは今から46年前の1971年(昭和46年)、現行の「カワサキ特約店」制度の基盤ともいえる全国販売店の組織化が胎動の気配を見せていた。

これは、これまでの“実用車のカワサキ”から脱皮し、“中・大型スポーツ車”を中心とする販売展開を目指すため、新しい販売方式を模索しての動きであり、特に東京・大阪・名古屋など大都市市場で見られてきた。既にこの前年、70年(昭和45年)には東京で、中・大型機種の販売を指向する販売店約50店による「東京カワサキ会」(正式な名称は違うかも?)が結成された。

これに触発された大阪でも、カワサキオートバイ販売(カワ販=現KMJの前身/田中誠社長)大阪母店(近畿地区を統括)大阪営業所が1月、府下の主力20店を和歌山の勝浦温泉に招待して新年会。この席上、古谷錬太郎所長(大阪母店長も兼任)が“中・大型機種を指向する販売店の組織化”を相談したところ、出席者の大半が賛成し「早急に準備を進めてほしい」ということになったという。

この直後、古谷氏から私に声がかかり、古谷氏が考える新しい全国の“カワサキ販売店組織化構想”を示し「この早急な実施を図りたい」との話。そこで私も「この構想を二輪車新聞に掲載していいのか」と問いかけると、「是非大きく書いて」ということになり、本社でも“面白い”ということで、2月5日付で、1面トップで大きく扱ってくれた。

ところがカワ販でこの記事が大問題となり、私と古谷氏が明石のカワ販本社に呼びつけられ、当時の荢野豊秋専務から“大目玉”。

荢野専務曰く「現在、全国にカワサキ車を販売してくれている販売店は1000店以上ある。この販売店は、何の前触れもなくこの記事がいきなり舞い込んできたら何とする。販売店の今後の経営方針にも大きく影響するばかりか、カワサキの今後の営業活動にも大きく支障が出る」というような主旨のお叱りの言葉を約3時間。私は荢野専務のお叱りは“ごもっとも”と思い、大いに反省させられた。

ところが一方の古谷氏も、その場では“ハイ、ハイ”と平身低頭していたが、後々、古谷氏の言葉から、これは“確信犯”だと感じさせられた。

「難問題にチャレンジするには、まず、事を公に発表してから進める。当然リスクはあるだろうが、そのくらいのことは最初から覚悟している。私は物事を半年刻みに考えており、半年で出来ないものは、10年経っても出来る保証はない。これは私の信念であり、今度のことでは、衛藤さんには迷惑をかけたが、“事を急ぐため”の常套手段であり、物事の実現には大きな“追い風”になります。もちろん、これには多くの人たちを納得させる正当性がある限りです」とのこと。全く恐れいりました。
(※当コラムは、過去の「二輪車新聞社便り」の再掲載となります。)

画像: 昭和46年2月4日付の二輪車新聞1面

昭和46年2月4日付の二輪車新聞1面

二輪車新聞社元取締役大阪支社長 衛藤誠

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