外国製モトクロスバイクのメカ&マネージャーとして参戦した1984年は、ニューモデル試乗テストで大クラッシュしたと前回記述したが、その年の秋はエジプトで壮絶なドラマがあった。ちなみに過去4回参戦したパリダカール・ラリーは79年に始まったが、当時のフランスのバイク専門誌で紹介されている記事を偶然見たことが、そもそも砂漠好きになる始まりだった。

夢はパリダカ!だった。でもどうやってアクセスしたら良いのか。インターネットは当時存在せず、皆目見当がつかないある日のこと「ダカール・ラリーの前哨戦としてファラオラリーがエジプトで開催されているけど、距離も開催日数もダカール・ラリーよりもコンパクトだから出ないか?」という誘いを受けた。

日本での窓口は、日野レンジャーでダカール・ラリーに挑戦し続けた菅原義正さんの事務所だ。

早速、バイクをベルギーへ輸送し、セットアップを済ませ、ベネチアからエジプトへ。あのガストン・ライエなどと地中海4日間の船旅を楽しんだ。

レースの序盤2日間は順調そのもの。別チームのライダーとの抜きつ抜かれつの走りは実に楽しかった。エジプトの砂漠はアフリカの中でもとりわけ綺麗で、次から次へと現れる奇岩怪石や目先が海に見える逃げ水を追いかけ、フワフワのサンドはまるで宙を舞う感覚。ピンク色の発光体のように夕陽が透かして見える砂丘にも遭遇した。

自信のあったタイヤ交換に難儀した。人生初のミシュラン製デザート。当時のデザートはミミなどすべてが日本製の数倍硬く、長いタイヤレバーでなければ組めないものだったからだ。パンクしても走れるかも、という硬さだ。

不運があってもバイクの魅力にハマっていく

3日目。私の不運は一気に訪れた。SSのスタートまでに時間があるので、写真を撮ろうと砂丘を駆け上がった。強烈な日差しと真白な砂で凹凸もわからず崖へ。そのまま飛ぶしかない状態となってジャンプ。

高低差は10メートルほどあっただろうか。前後サスはフルボトムしたが無事に着地。しかし、数10メートル走って息ができない。なっ、なんだこの苦しさは!脊椎の圧迫骨折だった。

それでもレースを続行。ファラオの神は「もう止めなさい」と再び静止を私に呼びかけてきた。今度はSS中にエンジンがいきなりガチャーンという異音を放って万事休す。カムスプロケット脱落という実に稀なトラブルだった。

84年は実にいろいろ苦くて痛い経験をしたが、それでも砂漠とバイクの魅力にハマっていく30歳の自分がそこにいた。その後もやりたいことをずっとやってきたが、あの時の熱い気持ちが今なお続く。バイク、そしてバイクで出会った多くの人に感謝である。

プロフィール

柏秀樹(かしわ・ひでき) 
1954年山口県生まれ。大学院生時に作家の片岡義男と、バイクサウンドをテーマにしたLPを製作。卒業後フリーランスのモータージャーナリストに。各種海外ラリー参戦も含めた経験を活かし、現在「KRS・柏秀樹ライディングスクール」を運営。全国各地で初心者やリターンライダー、二輪車販売店社長・社員の意識・運転技術改善に役立つノウハウ伝授や情報交換をしている。ベストセラーになったライディングDVD他著書多数。

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