二輪車新聞社便り

2018-10-29

販売店組織化の道程② 大阪の設立が、全国的な組織化気運を高める

時代は移り1980年(昭和55年)前後から、全国の二輪車販売業界では、業界有志たちによる“販売店の独自の組織化”の動きがみられるようになってきた。

その販売店の自主的な組織化の目的は①当時、市場に増加してきた下取り中古車の円滑で健全な流通促進②部品・用品および備品などの共同購買③各保険類の団体加入④信販会社などとの提携によるクレジットの斡旋⑤経営や法律問題の相談室の設置ーーなどが主な点だったようである。

正式に法人化(協同組合など)された業界組織化の第1号は、兵庫県二輪自動車協同組合(初代理事長=武内等氏/現・島津龍理事長)で、81年(昭和56年)4月。目的は下取り中古車の円滑流通を狙ったオークションと部品・用品共同購買だった。

オークションのスタートは発足から数年遅れるが、部品・用品の共同購買事業は組合設立と同時にスタートした。オークションは神戸市内にある四輪車の“いすゞ自動車”の常設オークション会場を借りて、毎月1回の開催であった。特に同組合の部品・用品の共同購買は、組合が自家用小型トラックを持ち、注文の部品・用品を配達し実績を高め、好調に推移した。

ところが、95年(平成7年)1月の“阪神・淡路大震災”で組合事務局/共同購買の部品・用品倉庫を失うと同時に、借りていたオークション会場も使用できなくなるなど、大きなダメージを受けた。そのため協同組合は一時休眠とし、組合員の有志約20店で、神戸市内・国道2号線沿いに共同展示場“バイクセンタージャパン”を開設し、新車・中古車の小売り販売・業販(卸売)を展開した。その後、共同展示場は約4年間で閉鎖になった。

しかし、兵庫県二輪自動車協同組合は、震災から9年後の046月、眠りから覚めて再出発を果たし、活発な事業活動を始動。オークションについては独自開催は出来なかったが、AJ近畿地区合同オークション(年3回)に積極的に参加している。

2番目に設立されたのは、やはり近畿地区の大阪オートバイ事業協同組合(設立当初から現在まで吉田純一理事長)で、84年(昭和59年)12月。この大阪の設立が、その後の二輪車販売組織(協同組合)化を加速させる原動力となり、また“全国オートバイ協同組合連合会(AJ)”への結成へと進んだといっても過言ではなかろう。特に吉田理事長に加え、福井二朗専務理事の存在は大きい。

吉田氏が二輪車販売店の組織化を目指した最大の原動力は「日本の二輪車が、もはや世界に雄飛している中で、日本電信電話公社(当時/現NTT)の職業別に“オートバイ販売”の欄がなく、自転車欄に含まれている。さらに通産省(現在・経産省)の職業分類でも“オートバイ販売”の欄がない。これはひとえにオートバイ販売の社会的地位の低さである。我々販売業者が団結し、そのスケールパワーをもって、二輪車販売業の社会的地位向上を図らねばならない」という思いだった。

それにはまず、組織活動を強化するための財源確保が不可欠であるとして、共同購買事業の強化をはじめ、共同事業活動を積極的に促進し、設立から4年後の88年(昭和63年)6月には“バイクオークション”をスタートさせた。

この大阪の設立が、全国的な組織化の気運を高めた。(つづく)

二輪車新聞 大阪支社顧問 衛藤誠


大阪オートバイ事業協同組合の吉田純一理事長(写真)の熱い思いが、二輪車販売組織(協同組合)化の原動力ともなった