一字千金

2019-01-01

Vol.28―原点回帰マーケティングの展開に期待― 「改めて希望を持とう!」

奥井俊史/アンクル・アウルコンサルティング代表

業界で掲げた「二輪車産業ロードマップ」によれば目標として、2020年に年間販売台数を100万台に回帰させることを目指し、今後共同して取り組んでゆくこととされた。20年までの達成はさて置き、いずれにしろ業界の成長のために長期目標として100万台は必要ではないか。目標達成について販売店活動やマーケティング活動の側面からこれを考察してみたい。

実現は不可能ではないが容易なことでもない。

まず年間100万台の販売回帰実現のために、何軒のオートバイ販売店が必要だろうか。最悪を想定して、全国で販売店数が5000軒になったとしても、単純机上計算上は各店が年間200台を売ればこの数字は達成できる。

私がHDJを退任した時点では、HD専売・他メーカーとの併売店を併せて、全国約160店の正規販売店で1万6000台のハーレー車を売った。従って各店で平均年販100台であった。当時のHD車の加重平均単価は200万円。国産車の平均価格の4倍強であった。その時点の日本のバイクの総市場は約52万台。そのうち自動二輪車は5万台に過ぎなかった。

オートバイ市場縮小の大きな要因は、日本では歴史的に主流であった販売店における、特に国産車における「多数のメーカー製品の併売」にあると筆者は考えている。併売店に対しては多くの理由から実際に各メーカーの販売店政策やマーケティング政策を有効に導入することが困難であるし、同時に効果的でもなくメーカーの販売努力を大いにそぐ結果になるのが常だ。

実態として平均従業員数が6人を割ることが多い店に、仮にメーカーがコストをかけてプロモーションを展開しようとしても、成果を上げにくい。しかも弱小零細企業の業界では、販売店自身の独自の販売努力には限界があり、業界の拡大には繋がりにくい。少数派のメーカー系列店を除いては人員的にも難しい。

市場の縮小下、販売店では新規需要の創出が必須であるにもかかわらず、そのために有効かつ重要なCRMシステムの導入も進まず、有効活用もままならない。

一方、HDの販売急増は新規顧客の創造を徹底していたからである。毎年の総販売台数中、なんと「約15%は初めて購入するバイクがHD」であった。この分を含めて合計的には80%の顧客が、HD車を初めて購入された方々であった。この傾向は在任中の20年間に共通していた。

成果は、顧客との出会いを意識的に計画されたイベントで開拓し、HDJが主導して販売店と共同運営するHDJファミリー独自の「顧客創出のための」CRMを導入実践していたことによってもたらされた。HDJがリーダーシップをとり、年間約30万人の非HD顧客の名簿を大きなイベント開場などで集めてCRM入力し、顧客を販売店の店頭に誘導し、店頭で潜在顧客を顕在化させる地道なプログラム化された「Create Customer Circle=C・C・C」を販売店とともに回すことでもたらされた。

収集された顧客名簿はHDJで一括入力して管理し、顧客の了解を得て顧客居住地の各販売店に、販売店網間で共有される一定の基準に基つき、顧客にアプローチする初回のDM発送をHDJで行ったのち、販売店に移して、販売店に顧客の顕在化実現につながるCRM活動をしてもらった。

HDJでは専売店のみならず、他メーカー製品を取り扱う併売店に対しても、分け隔てなくこのような対応をしていた。顧客の来店誘因には顧客視点から見て、優れた購買環境の整った販売店の店頭を実現することが大切である。この観点から「ストアーデザイン ショップ」と呼ぶ店舗革新型専売拠点プランを導入した。このプランはHD専売会社でなくとも「ショップイン ショップ」での部分的な導入も可能であったが、実際には新車・中古車・部品(カスタム)・サービス・ライフスタイル関連商品・金融収入など、販売店にとってのプロフィットセンターを総合的に確立、強化して販売店の収益構造の強化と財務の改善を狙ったものでもあった。

上記の政策により販売店での、またHDJファミリーとしての新規顧客創出力を大いに高めた。販売店数の減少は不幸なことであるが、結果的にはマーケティング力のある販売店が生き残ることをも意味する。実際の販売力はメーカーの適切な支援があれば大いに強化される。

現状に合った各社の「原点回帰のマーケティングの展開」により2025年くらいまでには市場100万台回帰に向けての道筋がつけられるのではないかと大いに期待したい。

プロフィール

奥井俊史氏 (おくい・としふみ)

1942年大阪府生まれ。65年トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)入社。75年より東南アジア市場の営業担当し、80年トヨタ北京事務所の初代所長に就任。83年より中近東市場で営業担当。90年にハーレーダビッドソンジャパン入社、91年に同社社長に就任し、19年間に数々の施策を展開し日本での大型二輪市場でトップブランドに育て上げた。09年より現職。