スペシャルパーツ忠男 代表取締役 大泉善稔氏
代表に就任した大泉氏
16歳になる前だったと思います。当時、僕はいろいろな事があって学校には行かなかったんです。それで学校近くにSP忠男というバイク屋さんがあり、そこはお店の中が活気があって、僕自身もバイクに興味があったので、仕事をさせてほしいと手紙を送ったんです。『それじゃウチ来る?』みたいな流れになって入社しました。
当時は上野(東京都台東区)に店舗があったので、そこを訪ねたら白井糺さんという番頭さんがいらして、その人がまたおっかなくて……。お会いして、それから羽田(本店)に行くぞと、クルマで向かうのですが、それが白いシートのポンティアック・ファイヤバード(トランザム)。助手席に乗ろうとしたらハンドルがあって、ビックリした思い出があります。そんなクルマで白井さんが、もの凄く飛ばすんですよね。
正式に入社したのは16歳を過ぎてから。毎朝、寿美子さん(鈴木寿美子さん/SP忠男・専務取締役)に言われたことは、出社したらバケツに水を汲んで、雑巾を絞ってショーウインドウを拭き上げることでした。日課の業務ですね。
当時はホンダ・モンキーのボアアップキットも手がけていたので、ピストンヘッドやスリーブの加工とかを旋盤機械で仕上げることもさせてもらっていました。社長(当時の鈴木忠男氏/現SP忠男・取締役会長)の実家が極東精機という会社で、そうした機械を所有していたので、加工はお手の物でした。
それが終わると夕方頃から、今度はマフラーの塗装業務に入ります。耐熱塗料を塗布するのですが、塗りムラがあると寿美子さんから怒られるんです。やり直ししていると、いつのまにか社長が隣に並んで一緒に作業をしていたのを覚えています。いい思い出です。
20歳の頃でした。番頭だった白井さんが退社するんです。独立してバイクビジネスを立ち上げるみたいで。そうすると僕に商売のことを教える人がいなくなってしまうんです。そうは言ってもオートバイブームでしたから。誰が何をやっても売れたんです。どんどん売上げが伸びていた時期でした。自分の実力みたいに勘違いしちゃう時代でもありました。バイク業界全部そうでしたね。
ただ、その一方で自社で扱う商材と競合する商品も多く出始めて、売れ行きの悪い商品が増えて、足かせになってくるんです。そこで、商品を絞り込むんですが、自信があったのがマフラーで、もうひとつはタイヤ販売、それと横浜の方で行っていたオートバイの修理。そこの店長がそういう能力に長けていたので。
その3つが柱になるかな、という風に感じていましたね。
マフラー事業ですが、僕が入社したあたりでホンダMB50、MBX50がもの凄くヒットしたんです。それに目を付けてチャンバーを作って売り出したのがきっかけです。
余談ですが、僕は当時スズキRM80を所有して、サスペンションやタイヤ、オイルを変えたりして走っていたらもの凄く調子が良くなって、その変化に面白さを感じました。
オートバイのカスタムというのは部品や油脂類を変えると、スタンダードよりも圧倒的に良くなるんだ、というイメージだったんです。
ところが、件のチャンバーは結果として変化がなかった。純正より排気音が大きくなっただけでした。お客さんの中にも取付けたら速くなると思う人もいたので、販売していて凄くストレスがありました。何とかお客さんに満足いくものを提供したい、という思いがあったので、会社に掛け合ったところ担当者に命じられました。
これまでは自社開発だったのですが、外部のマフラー製作会社の開発者たちに相談したところ、その人たちはレース業界にいてマフラー製作の知見を持っていたんです。速さを求めるのであればそうすることも出来る、と言われて何かふっきれた感じがしました。
それまではメーカーが巨額の費用と人材を投資している純正こそが最良だと思って、それよりも良くなるマフラーを製作することはできないんだと。そうした固定観念にとらわれていたんですね。
それから現在まで、小排気量から大排気量、ジャンルもスクーターからクルーザー、スーパースポーツに至るまでオリジナルマフラーを提供しています。
今後はSP忠男の価値を上げる仕掛けを作っていく
ところで、弊社のマフラーは「気持ちイー!」をコンセプトにしています。ライダーは大きく分けて2種類のユーザーがいると思います。ひとつは利便性のある乗り物として見ているライダー。もうひとつは乗った時に心の中が空っぽになる開放感、気持ち良さを求めているライダー。後者に対してはマフラーを装着することで開放感や「気持ちイー!」を提供するのが本質です。
ちなみに、「気持ちイー!」の原点は社長が『レースでトップを走っていると気持ち良いだろう。自分が気持ち良いからやっているだけだよ。そんな風に走っていると周りのみんなが感動してくれるんだ』と、話してくれたことに起因します。
自分の業務に落とし込むと、自身が気持ち良く仕事をすることで周りも共感してくれるんだと、気が付いたんです。
今では、数台所有する愛車のマフラーを全て交換していただいているお客さんや親子2代で愛用いただくお客さんもいらっしゃいますが、共感よりももっと大きな、“共振”に達しているのではないかと思います。
僕らもマフラーメーカーとして、そして店舗でタイヤ・オイル交換等によるサービスを提供したときに、お客さんがどこまで笑顔になれるか、そこを本質とするとともに共振の発信源としています。
6月から社長を拝命しました。これまでは会社の方針とかは立ててこなかったのですが、3月より会計も新期になるので、組織の中身や仕事を変えて、社員たちが一番働きやすい環境を作っていこうと思います。
一方、これまでは量販店さんから依頼を受けて、店頭でマフラーの試乗体験や取付けサービスを提供してきました。また、全国で開催されるバイクイベントにも数多く出店してきたのですが、徐々に効果が薄れてきているのと、実際にSP忠男の商品を求めている人たちに伝わらなかったりする所もあるのでは、という思いが生じてきました。
今後は自分たちの力でしっかりとお客さんにSP忠男が持つブランドイメージをアピールして、興味を持った人たちが集まるような仕掛けを作っていこうと思います。
ライダーの心を空っぽにする、お客さんにとって「気持ちイー!」ことへの追求・提供は変わらず続けていきます。
インタビューを終えて
「僕が20歳の時に商売を教えてくれる番頭役がいなくなりましたが、会社は崩れることなく“カタチ”になるんですよね。それを目の当たりにしたときに、組織は誰かが抜けてもちゃんと穴埋めされる。世の中の仕組みはそうなっているんだなと」。そう大泉さんは振り返っていましたが、世の中の仕組みではなく大泉さんがしっかり番頭役を担ってきたからだと思いますよ。(二輪車新聞編集長・本多正則)
以前は台東区上野に構えていた本店を同区の浅草に移転。ここは運気が良い場所と破顔一笑する大泉氏
◆SP忠男浅草本店=東京都台東区花川戸2-17-10▽tel 03・3845・2009▽営業時間=9時30分~19時(平日)/9時30分~18時(土日祝)▽定休日=水曜日、第1・3・5火曜日