旗幟鮮明と言える明確なメッセージと、それを裏付ける経験実績がないといけない。では書いている本人はどうなのよ、ということで僭越ながら自分の過去を振り返ってみたい。

バイク関連の仕事始めは、「W1ツーリング」などのLPレコードを矢継ぎ早にリリースしたことだった。人気作家・片岡義男さんと一緒に製作。決まっていた大学講師の道をやめて気がついたらバイク雑誌のフリーライターになっていた。

1980年代前期といえば空前のバイクブーム。その流れで各社からバイク雑誌が続々と創刊。雑誌創刊に向けていくつかのアドバイザーを遍歴した。

同時に、ロードレースやモトクロス(MX)などの取材に出かけて、次から次に出てくる新型バイクに試乗して記事も書いたりといった忙しい時期に、アドバイザーを辞めた。MX全日本選手権に参戦すると決めたからだ。

といっても走るのは私ではない。「マシンや用品・装備は私が用意する。各地を移動する手配とメカニックも私がやるから」と、国際B級に降格してレースを楽しんでいた石井正美さんに話を持ちかけ、同選手権を外国製のバイクで走り始めた。

当時は外国製マシンの全戦エントリーは過去に例がない。一方、新しい技術でもホンダワークスなどはまだ採用検討中だった倒立フォークサスを、我々プライベーターがいち早く導入するなど、他とは異なる戦闘体制を整えた。

運営費用は自分の持ち出し。金など持っていなかったけど、ただ単純にやりたかった。理由は簡単。レースの現場を見るだけ・聞くだけの取材って、つまりは外野のこと。やっている側にいないと選手やメカニックなどの苦労や気持ちなどわかるわけがない。ジャーナリストとして現場の本当の中身・真実を知りたかった。

良かれと思った作業で大失敗

不慣れで下手なメカやマネージャーをやりながら、レースはシリーズ中盤まで順調。125ccと250ccクラスともランキングトップに。B級チャンピオン違いなし!の勢いだった。しかし、第8戦の北海道大会(大和ルスツ)で急遽、彼は国際A級に強制昇格させられた。84年のMX・B級チャンプは取れなかったが、シーズン途中で早々と国際A級昇格を成し遂げたわけだ。

ある時、マディ用にサス設定を変更したら「勝手に変更してんじゃねーよ!」と彼にひどく怒られた。ライダーとメカは絶対の信頼関係でなければならない。その第一歩はコミュニケーションだ。その当たり前をわかっているつもりだったが、やってしまった。

理屈で知っているだけの自分の至らなさで彼に本当に申し訳ないと心底思った。私の数々の失敗の第1号だった。

プロフィール

柏秀樹(かしわ・ひでき) 
1954年山口県生まれ。大学院生時に作家の片岡義男と、バイクサウンドをテーマにしたLPを製作。卒業後フリーランスのモータージャーナリストに。各種海外ラリー参戦も含めた経験を活かし、現在「KRS・柏秀樹ライディングスクール」を運営。全国各地で初心者やリターンライダー、二輪車販売店社長・社員の意識・運転技術改善に役立つノウハウ伝授や情報交換をしている。ベストセラーになったライディングDVD他著書多数。

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