二輪車市場が厳しい中、パーツやアクセサリーの開発・販売を展開するキジマ(営業技術センター=東京都足立区)は今年、新たな社屋を完成させたほか、20年ぶりに全日本ロードレースでの活動を復活させた。同社の木嶋孝一社長に昨今の積極的な活動についての狙いなどを聞いた。

──営業技術センター建設の経緯は。

「これまでの営業センターには営業、開発、物流部門が同居していた。そこから約100m離れた敷地に新しい建物の『営業技術センター』を建設。今年3月に完成、4月に開発部門と営業部門を移転させた。新設したのは、これまでの建物が老朽化し、手狭であったためで、同時にこれまでの建物はリフォームし物流施設にする。

営業と物流が分かれたため、連絡などのやり取りに最初は不便を感じたが、連絡をしっかりやれば、必ず仕事の効率は良くなる。新施設で開発と営業スタッフの士気が上がると思う。一方、物流スタッフは従来の建物がリフォームされ広く使いやすくなるだろう」

画像: 新設の「営業技術センター」

新設の「営業技術センター」

──「KISSレーシングチーム」の復活が注目される。復活理由は。

「以前は1985年から95年まで活動していた。約20年ぶりの復活となる。以前はスポンサーとして参加していたが、今回はチーム活動を含めた全体的な運営となる。

ただ、レースに参戦したいという思いよりも、商売として市場では原付二種や250ccモデルの需要が伸びており、キーワードとしてYZF-R25(R25)だなと思った。スポーツ分野は弱いほか、それまでKISSブランドのパーツやジャケットなどで採算合わないものを縮小してきた。そんな中、手薄でぽっかり穴が空いているのがレース分野だった。しかし、ただ商品を造っても売れないだろうし、技術力も高めるなどのチャレンジが必要だ。新しい分野へなんとか取り組みたいと思っていた。実用品の開発は強いが、今後のレースの経験で新しいカテゴリーができた。

レースはMFJが今年開設したJP250シリーズに参戦。市販車ベースのマシン参戦なので、エンジン関連部品開発の考えはないが、それ以外のパーツの開発で良い商品が造れ、強みが発揮できると思った。

しかし、こうした商品を初年度から積極的に売ろうとは考えていない。今年はじっくりレースに参戦して目に止めてもらい、来年から徐々に売れればと考えている。昨年12月に参戦を決めたものの、ライダーは決まっていなかった。今年1月からライダー募集を行い、2月に小椋華恋に決まった。当初は『KISS』の名称は使わないつもりでいたが、運命なのかライダー決定と同時に、JP250の応援アイドルが『KISS Bee』というグループであることを知った。我々のブランドとしてKISSがあり、女子高生ライダー、そして『KISS Bee』でイメージカラーは蛍光ピンクしかないと思った。偶然が重なり最終的に『KISSレーシング』として立ち上げた。運命なのだろう。

幸い小椋選手はいいライダーなので初戦から出場させてやりたいと思い、急ピッチで準備した。おかげでこれまでクラス6位、5位、4位と成績を上げている。

復活にはもう一つ理由がある。以前の『KISS』のジャケットなど復刻版商品の開発を考えていたが、復刻版では商品寿命が短く継続した販売が望めないと考えているところで、レース参戦や小椋の参加があったことも大きい」

──今後、レース活動と商売をどのように両立していくのか。

「マシン製作と同時にR25用のカウリングなどのエントリーキットも急遽商品化した。また、KISSグッズやブーツ、グローブの商品なども買って頂く機会も増えるだろう。話題性のある小椋であれば二輪車業界に限らず、女子高生などの若者向けイベント、さらに男子高校生などにも広くアピールできる機会が増える。今の高校生にバイクに興味を持ってもらい、まずは見て楽しみ、そして乗ってもらえるように普及に努めたい。

JP250は継続して参戦していくが、上級クラスへ参戦する考えはない。レースで儲ける気はない。レースも大切だが商売も重要だ。レース活動でキジマのポジションを構築していきたい。

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株式会社キジマ

二輪車の部品用品の開発、販売を行う。前身の不二屋ゴム商会(58年設立)を67年に木島ゴム工業㈱に社名変更。85年、KISS RASING TEAM創設、鈴鹿8時間耐久ロードレースに参戦。92年、社名を㈱キジマに変更。

画像: 株式会社キジマ 木嶋孝一 社長/「KISS」復活 レース参戦

紙面掲載日:2016年7月29日

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