二輪車新聞の創刊は、1959年(昭和34年)1月1日。当時、二輪車新聞社はモーターマガジン社と共に皇居の中、東京都千代田区代官町1番地にあった。民間の会社が何故、恐れ多くも皇居の中に存在したかは省略するが、ともかくも竹橋を渡りお濠の中に入り、桜並木を抜けると、古びた木造2階建ての建物に、我が本社はあった。
渡り廊下で隔てた同じような建物には確か労働省(現厚生労働省)の分室が入居していた。この建物は旧近衛師団の跡だそうである。
会社は建物の2階で、板張りの床は歩くと“ギイ・ギイ”ときしむ音がした。しかし、建物の周囲には植木や草花もあり、小鳥のさえずりも聞こえ、都会の雑音から遮断された別世界といった感じだった。そうした環境の中で二輪車新聞は産声をあげた。
創刊1号は、1月1日付けの新年号でもあり12ページだった。
社長は木村襄司氏。編集スタッフは、編集主幹の山添幸治郎氏をはじめ、編集長の根本昭三氏、以下、私を含め5名、総務1名だったと思う。うち私が最も若輩で、大阪支社勤務だった。また、編集主幹の山添氏は、モーターマガジン社の発行するモーターマガジン誌、オートバイ誌などの編集主幹も兼任していた。(つづく)
二輪車新聞社元取締役大阪支社長 衛藤誠