2020年からの新型コロナウイルス感染症拡大が沈静化し、本格的に経済が回り出した22年後半から23年。二輪車業界への追い風は止んだとも言われる。そんな中にあっても、創立52年のデイトナ三代目社長・織田哲司氏は「新たなユーザーのため出来ることを」と明るく前を向く。パワーの源は何か。前後編にわたって聞く。

(株)デイトナ代表取締役社長 織田哲司氏

画像: (株)デイトナ代表取締役社長 織田哲司氏

━━バブルとも称されるような2020年代初頭の好況も、22年後半から落ち着いたと言われています。16年の社長就任以前にもリーマンショックなど様々な経験をされた中で、現在の市場環境と似ている時期はありましたか。

「いや、この感じは初めてですね。ただ追い風がなくなった分、本当の意味で成長のチャンスと捉えています」

━━勝ち筋はあるということですね。

「はい。皆さんご存じの通り、普通二輪免許、大型二輪免許の取得者数は(コロナ禍の数年間)大きく伸びました。保有台数も原付一種を除けば堅調にあり、実に安定した市場です」
「デイトナについて言えば、12年からの積み上げにより安定した売上構成となっています」

━━2012年というと、今から12年前に大きな変革があったのですか。

「はい。商品展開を変えてきました。カスタムパーツ主体から切り替え、快適・便利をキーワードにした商品を主軸にしてきたのです。売上構成の変化として顕著になったのが18年から19年です。そして20年からご存じの状況となり、新規ユーザーが増加したわけですよね。デイトナの商品は比較的そうした新規のお客様にとって需要があり、お買い求めいただきやすい価格でもありました」

━━人気機種の動向(ブーム)に左右されず、事業を展開できる体質になったのですね。大きな転機であったはずですが、その判断材料は何だったのでしょう。売上データでしょうか。

「最も大きかったのは『このままでは会社がなくなってしまう』という危機感です」

━━何があったのでしょう。

「2000年代まで我々の事業は、ブームを追いかけるスタイルでした。最後にきたのはビッグスクーター、その前はTWといった具合に、5年ほどの周期でカスタムのブームがやってきた。その波に乗って成長できたのです。大まかに言えば人気機種の関連商品で年々売上を伸ばすことができた。それを柱に据え、あとは話題性ある無線通信機器などを打ち出していれば、どうにかなる状況。ビッグスクーターブームの07年当時は年間45億円ほどの売上でした。それが08年にはリーマンショックもあり、どどどんと景気が落ち込んだ。弊社の売上は3年間で32億円を切るまでに落ち込んだのです」

━━約30%もの減少を。

「そのとき何をして良いかさっぱりわからなかった。会議も重ねましたが、わかったのは『売るモノがない』ということだけ」

━━あまりにも苦々しい結論ですね。

「結局、とにかくユーザーの動向を見ようと。ユーザーがよく訪れる道の駅に通い、どのカテゴリーに注力すべきか検討しました。そうしてコンセプトを変えたのが11年。『これでいける』という数値が現れたのが13年のことでした。商品投入によって、反応が見えてきたのです」

━━その転換点となった商品とは何でしょう。

「スマートフォンホルダーです。MINOURA×デイトナのダブルネームで現在も販売しています」

画像: バイク用スマートフォンホルダー「79350」。MINOURA(ミノウラ)iH-400のデイトナ仕様。税込4,180円

バイク用スマートフォンホルダー「79350」。MINOURA(ミノウラ)iH-400のデイトナ仕様。税込4,180円

「11年当時は自転車用のホルダーが二輪車用品の販売店でも販売されていました。品質的には『これバイクに取り付けて大丈夫かな?』という印象でしたが」
「ユーザー動向を定点観測する中でも、どうにか自作してでもスマホをバイクに取り付けたいという需要が見えていました。そこでグループ会社が運営するライコランド柏店を訪れ、当時一番品質の良い商品を教わってきました」

━━それがMINOURA×デイトナの第一歩だったのですね。

「そういうことになります。実は当初、社内でも準備を進めてはいたのですが、自社開発ではコストも時間もかかりすぎると判断。担当グループのリーダーと共にそのメーカーを訪問し、相談のうえOEM生産を引き受けていただいたのです」

━━カスタムパーツメーカーの立場から、プロデュースの面が強くなっていった転換点に。

「そういうところもあります。それまでチューニングやドレスアップを手掛けて来ましたが、ずっとそのままでという考えはあまりなかった。そこにこだわるというより、とにかくユーザーの変化にどう送り手がついていくか。実現するには身軽さが欠かせません。加えて協力会社がすごく重要です。ある商品企画が上がってきたときに、これは自社でいけるのか、それともスマホホルダーのように専門メーカーと進めるのか。また、どの段階から協業するのか。いくつかのパターンから選択していく訳です」

━━その判断が柔軟かつ速くなったということですね。自社開発・生産にこだわらないぶん、企画の自由度が増し、開発スピードも上がった。

「そうですね。デイトナは元来、何が何でも自社設計でなければいけないという会社ではなかったのです。過去からの延長線上では、ある限定した範囲でしか生かされない。その限定した範囲でしっかり稼げる会社であればいいが、デイトナはそういう会社ではない。アフターパーツメーカーの中では、歴史が結構浅いのですよ」

━━えっ。既に50周年を超えているのに、ですか。

「70年代後半、第二次バイクブームの時にできたブランドですから。当時、アフターパーツ・用品メーカーさんは既に先輩方々がたくさんいらっしゃったのです」

━━言われてみれば。ではその歩みと現在を顧みて、デイトナの強みとはどのように表現できるでしょう。

「デイトナの強みは、弊社の行動指針に『こだわらず、決めつけず』という文言があり、あんまりこだわってないところ。いや本当に表現が難しいのですが、先ほどお話ししたように、ユーザーの変化などに対して我々がどれだけ合わせていけるかっていうところ。それを支えるのが、生産を外部委託するファブレス型の体制です。協力会社との関係が確立できていることが一番の強みでしょう」

━━本社敷地内にテストコースがあることも強みと言えるのでは。

「強みですね。評価もものすごく重要なので。そこの役割が弱くなってしまったら、弊社の存在意義がなくなってしまう。設計・製造を専門とする協力会社に、決して丸投げなどしてはいけない。バイクに装着して走行したときに出てくる問題点を洗い出して改善するということがすごく重要」

━━風圧や振動など、ハードな環境下で使用してどうなるか。そこで問題点を洗い出して改善することが、メーカーとして必須ということですね。ドレスアップカスタムというモノから、ツーリングというコトを楽しむための用品・パーツへと舵を切ったデイトナ。今この局面で打つ手はどのようなものか。次回、引き続き伺います。

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