古株の従業員からは、息子はいつまでも子ども扱いされて可愛そうだけど、肩書を与えることがはばかられた。ほんとうは、すぐにでも取締役にしたかったけど、社員の手前、厳しく平等に扱ってきた。
やがて息子は一人前の仕事ができるようになって、店の中でも実力が認められてきた。そろそろ肩書を与えてもいい時期が来たなと思ったのは、自分で探したお嫁さんを連れてきたから。はにかみと得意が入り混じった顔で報告され、後継ぎになることが決まった。
まさか、ここから次の試練があるとは思いもよらなかった。銀行からの借り入れをたっぷりと残して、息子が先に逝ってしまったのだ。
落胆に暮れて、食事ものどを通らなかった。頼りにしていた一人息子がいなくなり、借金の返済義務が重くのしかかってきた。
途方に暮れていたお母さんの背中を後ろから押したのは、一人残った嫁だった。実家に帰るものと思っていたら、「私が頑張って、あの人の思いを継いでいきますと」言ってくれた。
その一言は、まるで35年前の自分の姿そのものだった。
嫁もまた、女性経営者への道を歩み始めていた。先代と違うのは、大勢の応援者がいること。女性たちが自分で自分の未来を切り開くことができる、そういう時代の風があった。
〝どうせ買うなら女性社長の店に共感する〟という顧客が増えている。女性ならではのきめ細かさや、美的センスの良さや、柔らかい接客態度に同じ女性の顧客が反応している。そして、女性客が男性の視線を集め、店の宣伝塔になっていく。
しばらくは日々の暮らしに追われ、活気の戻った店で辛さを忘れていたが、はっと気が付いた。「このままじゃ、嫁は私と同じだ!」しかも、育てる子供がいないじゃないか。
お母さんは意を決して、お店を売却し、嫁を実家に送り返した。判官びいきで応援してくれるお客さんもいたけど、本物の実力がなければ客は去っていく。経営を長続きさせるのは、なま易しいことではないことを、お母さんは体で覚えている。
M&Aには旬がある。売り時を逃せば商品価値が下がってしまう。話題があり顧客が付いているうちに、次のオーナーに店を任せることで事業承継を完了させた。借金は生命保険で完済し、老後の生活資金も手元にある。
こんな平穏な暮らしが許されるのかと思うほど、気楽な日々がそこに現れた。未亡人の元嫁と姑。同じ境遇を生きた戦友として、あれから3年を経た今でも、とても仲のいい女性同士だ。一緒に墓参りして、スイーツをほおばり、おしゃべりするのが何よりも楽しいという。
人生に「もしも…」は無いけれど、情に流されず現実的な選択ができて、結果は丸く収まっている。
■教訓
1.母から娘へ「女系」の良さを活かそう。
2.背負いきれない荷物は持たないで!
3.女性としての生き方を見つけよう。
〈筆者紹介〉
内藤博/事業承継センターCEO
1952年横浜生まれ。27年にわたる二輪車関連出版社勤務を経て、2003年に独立。事業継承の専門家として1000件を超える経営相談、事業承継の実績を持つ。自身がベンチャー企業取締役として、成長発展から縮小リストラまで経験した強みを生かし、単なる承継問題にとどまらず、時には家族会議への参加や親子間の仲介も行う。著書「これから事業承継に取り組むためのABC」他。