販売店社長の息子や社員に社長への後押しをして、その後は販売店の仲間同士で絆を深めてもらうことを目的とした「二世会」を立ち上げた、スズキ二輪の濱本英信社長。代替わりをする先代社長の複雑な気持ちは良く分かると言い、そこには自らも同じ経験をした思いがあるという。

父親である社長の気持ちは私自身が良く分かる

私自身の話をしたいと思います。1981年4月にスズキに入社し、和歌山県に営業担当として配属されて以来、ずっと営業畑一筋です。私は常に営業マンだと思っています。和歌山県で営業担当を務めたあと、29歳で大阪府堺市の営業所長になりました。その後、大型二輪車だけを販売する責任者になりましたが、以後は大阪・奈良・和歌山を統括する責任者となり、近畿と四国の販売責任者を務めた後に本社へ戻りました。それが2003年でした。

同じ時期にスズキへ入社した人が130人ほどいましたが、その中で国内の二輪一筋の人は、多分私ともう1人いるかどうかだと思います。違う部署に配属された人も結構いますからね。

(株)スズキ二輪 代表取締役 濱本英信氏

画像: 経営者であった父親のことに触れる濱本社長

経営者であった父親のことに触れる濱本社長

私の父親の話ですが、父親は新聞販売店を経営していました。『バーディー』を数台新聞配達用に所有していたので、スズキの方と付き合いもあったようです。当時は結構儲かっていたみたいです。父親は新聞販売店の前はスポーツ記者の仕事をしていました。それで、営業の方に回って色々な仕事を積み重ねてその後、自分で新聞販売店を始めました。

父親は大変厳しい人でした。仕事一筋だったこともあり、私は父親とあまり口もききませんでした。そして社会人になり、お盆や正月休みに帰ってきて父親を見ると、以前はもっとシャキッとしていたのですが、段々と年齢を感じるようになりました。

その後しばらくして亡くなった後で、周囲の方々と地域の話題などの話しをしたりするうちにそこで初めて、私もそういう立場になったんだなと思ったんです。

父親は私にひと言も継げと言いませんでした。私も1回はどこかに勤めて、将来はお店を継いでもいいかなと母親に伝えたのですが、それは「お父さんに言ったら」と自分で言うように促されました。しかし、どうも言える雰囲気じゃなかった。

そうしたら母親経由で「何が何でも継がせない」と聞かされました。こんなしんどい商売、辞めてもいいんだと。私には兄がいるのですがその兄も私も、結果的に跡を継ぎませんでした。最後は父親が倒れて別の人が店を受け継ぎましたが、それでも継いでくれと言いませんでした。

子どもが親を越える。くやしいが嬉しくもある

テレビがメディアの中心になってきた時に正直、新聞はなくなると思ったんです。でも、今の時代はスマートフォンが中心ですが、新聞はちゃんとありますよね。当時は私も新聞って将来なくならないと思い、いい商売だなと思っていました。不謹慎だけど、自分が楽をして経営できたらいいなと思った。継いでもいいかなという思いがあったんです

でも、とうとう父親から継げと言われなかった。だから……親子ってやっぱりそうなのかなと、そう思ったんですよね。そうした思いが(心の中に)あります。普通は自分が起業したら子どもたちに継いでほしいもんだと思います。父親も絶対に気持ちの中では継いでほしいと願っていたと思いますよ。

子どもには同じ苦労をさせたくないという思いはあるでしょう。たしかに、商売を始めてからうちの母親も一緒になって、最初は苦労をしていたから。両親が共働きだったので、親も寂しい思いをさせたという考えはあったのでしょう。だけど、継いでほしいという気持ちはゼロではなかったと思います。今はもう聞くことができませんけどね。

父親は2006年2月14日に亡くなりました。とても覚えやすい日に亡くなったので、家族には命日をいつまでも覚えてもらえると思っています。

私には子どもが3人いますが、今でも負けると思っていません。絶対に負ける気はしません。でもね……もうすでに負けているんですよ、色々な部分で。世の中の潮流、色々な流れにもついていけなくなっている。それでも、絶対子供に負けていると思わないし、負けると思ってない。

だから、乗り越えられたら腹が立つんです。そこで、「俺は親父を越えたんだ」と言われたら怒りませんか。何を言っているんだと。でも、それは販売店さんでも同じことです。息子と父親は男同士ですから。

余談ですが、懇親会でとある販売店の息子さんから「親父をなかなか越えられないです。どうすれば良いですか」と聞かれましたが「父親を簡単に越えると思うんじゃない。失礼だろ。父親は避けて行くんだ」とアドバイスをしました。彼は「分かりました」と、満面の笑みで得心していました。まぁ……酒席での話です。

先代と息子さんの間に入って、代替わりの後押しをしてあげるきっかけを作るのも、二世会の大きな役割です。実際に代替わりをした販売店さんでは、先代社長と話をしたときに「俺の時よりも売上げが良くて、利益も上げてんだよ」と、嬉しそうに言うんですよ。その時は「だから早く継がせた方が良かったでしょ」と話をするんです。「悔しいけど、そうだよな」と破顔をするんです。

代替わりしましたら、資金繰りからすべてを任せて、完全に独立させ後継者には苦労をさせてもらいたいと思います。

画像: 全国の各地域で開催している二世会。6月には埼玉でも開催された

全国の各地域で開催している二世会。6月には埼玉でも開催された

入社40余年、時代は変わったが人と人との繋がりは変わらない

私が入社した41年前と今では仕事の内容もずいぶんと変わりました。入社して初めて代理店に赴任し、すぐに背広とネクタイを外して会社のユニフォームに着替え、力仕事や雑用などなんでもこなしてきました。そうしたことから仕事を覚えたわけです。

それが今ではIT(情報技術)化が進んで、販売店さんが注文したら自動的にデータが配車センターに入力されて、請求書も自動的に販売店さんのパソコンに送付。引き落としや振り込みも自動、全部自動。私が昔やってきた仕事は、今では影も形もありません。

ただ唯一、41年前に私がやっていた当時と同じ、変わりなく残っている仕事が一つだけ残っています。それは“訪問活動”です。時代が変わっても、人と人との繋がりは大切です。昔と今とでは、仕事のやり方も変わってきました。でも、商売は人と人との繋がりが大事ですからね。

そういうことで二世会でも懇親会を通して、繋がりを大事にしていかなければならないと思ったんです。そうした会で悩みごとを聞いてあげることですよ。

振り返ってみると、スズキで人生の半分以上を過ごしました。私も22年6月で64歳になりました。スズキには何か恩返しをしたい。だから、何か形あるものを残して次の人に繋いでいきたいと思っております。今後も二世会を積極的に開催し、後継者育成に取り組み二世会を繋いでまいりたいと思います。

(※二世会は現在、新型コロナウイルス感染症防止により、会議のみで懇親会は開催していない。今後は感染状況を見て再開したいとのこと)(終わり)

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