今年で創立47年目を迎えたマフラーメーカーのSP(スペシャルパーツ)忠男。前回は創業者である鈴木忠男さんが寿美子さんとマフラー事業を創業した当時を振り返ってもらった。本稿では創業当時からこだわり続けてきたモノづくりの哲学に迫る。

スペシャルパーツ忠男 代表取締役 鈴木忠男さん
           専務取締役 鈴木寿美子さん

「オリジナルは強い」

忠男「当時、レース(SP忠男レーシング)もやっていたけど、レースで使うマフラーと街中で乗るマフラーは全く違う。レース用は高回転域を使うから出力を上げるのはたやすいんだけど、街乗りはそうじゃない。やっぱり回転の低いところから使うから、そこを乗りやすくするという考えはずっとあった。いくら馬力を上げたって乗りにくかったら売れないんだよ。やっぱり、そういうところにこだわってきたから、それが他メーカーとはちょっと違うところかな。出力を上げるよりも乗りやすさだよね」

「スクーターが出始めた時、ヤマハ・マジェスティのマフラーを製作したけど、壊れるんだ、振動で……。スクーターの場合はずいぶんクレームをもらったね。壊れないようにするにはちょっと苦労したけど、スクーターをやりだしたら、他のメーカーもやっぱり狙ってくるよね」

「みんなもすぐに作り始めたけど、やっぱりみんなも壊れたんだよ、当時はスクーターのマフラーというのは歴史がまだ浅かったからね。だけど、うちは止めないでずっとやってきたから。そこを止めないで来たのはマフラーメーカーとして、こだわって続けようという意地だよね」

忠男「〈質問=マフラーという商材は商品力として強いのか〉どこでも買える商品だとやっぱり値引きしたりして、自分で自分の首を絞めるようになって店が駄目になっちゃう。苦しくて売るために薄利多売する。新車もどこでも買えるとそうなっちゃうじゃない。だけど、オリジナルでやっていれば強いじゃん、やっぱり。量販してもね、それでちょっと食っていけるぐらいの利幅があれば、普通に商品を仕入れて売るよりは良いわけだよね」

寿美子「私も最初から絶対に値引きはさせないつもりでした。商売を始めたころ、関西のどこかのショップさんに商品を卸す時に、そこが手形だったんです。3カ月か半年だかの。1月後払いまでの手形は受けたけど、もう手形は一切やらないっていうことで徹底しました」

「そういう所と取引を続ければ、すごく大量には売れるんですけど、長続きしないかなと思って。小さくてもいいから、目の届く範囲で売るという気持ちでずっとやってきたんです。あと、当時はお金がなかったんです。現金が入ってくるまでもう待ってられなくて……」

「例えば半年先の300万円だと、それだと食べていけない。でも食べないと元気が出ないんで。それだけ資金力がないというのもありました。その金銭管理が私。店番もやれば、それこそ子供が小さいから子供の世話もしなくちゃいけないんで、そんな手形管理なんかとてもできなかったんです」

「遠方まで出向いてクレーム対応した」

忠男「マフラーも初期の頃はトラブルも結構あったんだ。こんな事もあったよ。お客さんが宿泊を兼ねたツーリングで熱海まで来たときに、取り付けていたサイレンサーの中の部品が現地で壊れたんだ」

「それで、ウチの大泉(SP忠男・大泉善稔常務取締役)が新品のマフラーを持って宿泊会場のホテルの宴会場へ入っていったんだけど、どうやら一般の人ではない人たちの集まりだったようだ。大泉も後で『参りましたよ……』とか言ってたけど、その後はお客さんから対応が気に入ったとか言われてね。喜んでもらえたみたい。トラブルの対応もすぐやるし、昔は売りっぱなしのところもあったけど、今はそうじゃない。売りっぱなしだとやっぱりやっていけないよ」

寿美子「大泉は商売をすごく熱心に勉強して、私と忠男さんが足りないところを大泉が、全部自分のモノ、会社の事業の支えにしてくれた感じがあります。だから忠男さんと大泉は本当に親子みたいな感じです。私も自分の息子より信じられる部分もあって、今までやってきましたよね」

忠男「今でも小さい排気量の商品をラインアップしているのは強み。老舗のこだわりみたいなもの。車両の販売台数でも小排気量がすごく売れているからね。忙しいけど、それは手がけておかないと駄目でしょ。それと、性能向上も含めてしっかり環境に適合したマフラーをやりだすと、やっぱりこれまで培ってきたノウハウが重要になってくる。抜けがいいからってパワーが出るわけではないし、乗りやすいわけじゃない。逆に乗りにくくなる。サイレンサーがあったり(エキパイを)ちょっと細く絞ったり、こうした微妙な味付けが結構、難しいんだよ」

SP忠男 常務取締役大泉さんの話

「入社当時は、私もマフラーに耐熱スプレーを塗装する作業をしていました。寿美子さんは製品に対する要求が高くて、常々駄目出しをされて塗り直しを命じられていました。そしたら、いつの間にか社長も隣にいて一緒に塗り直し作業をしていたのを覚えています。いい思い出です」

「それと、スクーターのマフラーを手がけた当時は本当に良く壊れました。原因を探るために1年以上かけて徹底的にテストを繰り返して、信頼性の高い商品を送り出すことができました。結果、スクーターのマフラーはSP忠男と言われるほど、実績を作り上げてきたと自負しています。SP忠男は商品作りのフィロソフィーとして“気持ちイー!”を掲げていますが、それはマフラーを交換して、乗った時の心地良さと気持ち良さを表現しています。定期的にバイク用品店などの店頭で試乗体験イベントを行っており、実際に乗っていただくことで体感をしてもらっています」

画像: 常務取締役の大泉さん

常務取締役の大泉さん

「振り返って」

忠男「この商売、バイクが好きでないと続けられないよ。特にウチの場合はそう。夫婦出会って60年。彼女は会社の専務で、本人は『なんにもせんむ』とは言うけど、彼女がいたからSP忠男は続けてこられた。本当に感謝している。2026年には事業を始めて50年になるけど、今が楽しければそれで良い。モトクロスのチャンピオンも獲って、やりたいことすべてやれた。幸せだよ」

寿美子「蒲田駅近くにあった外国籍のお姉さんたちにもずいぶんモテたからね」 

忠男「う、うん……」(おわり・文中敬称略)

インタビューを終えて

鈴木忠男さんこと「忠さん」は、私の二輪誌編集者時代からずっと憧れの人です。そのルックスや走りっぷりから「忠さんほど豪快な人はいない」と思われているようですが、ちょっと違います。忠さんほど優しくて繊細な人はいません。

SP忠男の商売にも大変な時期があったはずですが、周りがこのご夫妻を放っておくはずがありません。大泉さん(常務取締役)もお2人のことが大好きで、3人でずっと走ってこられたのだと思います。「やりたいことはすべてやれた」と言い切れる人生、カッコいいです。(二輪車新聞編集長・本多正則)

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