二輪車新聞はホームページもリニューアルし、写真はデジタル、原稿もネットでの入稿となり、入社時とは隔世の感があります。

今 でこそ、スマホで撮った写真が手軽に送れますが、その昔、写真もフィルムだった頃は、現像やら紙焼きの作業があって、写真はフィルムや紙焼きそのものを運 ぶしか移送の手段がなかったのです。新聞社などに詰め、そういった写真や原稿などをバイクで運ぶ「プレスライダー」という仕事が昔はありました。今もあるかもしれませんが、だいぶ業務は縮小されていると思われます。この二輪車業界には昔プレスライダーだった人は数多くいますが、私もその一人でした。

締め切りのために急ぐ必要があったプレスライダー。一般公道でありながら、スピードが要求され、黎明期はプレスライダーの腕いかんでは紙面が変わったことも あったそうです。他紙が載っているのに、うちが間に合わなかったでは話にならないと、新聞社の看板を背負ってプレスライダーは走ったそうです。今でこそワ ンクリックでできる作業に、体を張って走っていたのです。

大手町の某新聞社の原稿課にいました。

電車で通勤し車庫にある自分のバイクに乗り、官庁街の記者クラブ、皇居、大使館、通信社、都庁やら区役所、警察署、野球場やサッカー場、はては漫画家、写真 を投稿する読者の自宅、事件・事故現場などをバイクで回りました。原稿第一、バイクとライダーはその次です。雨の日は、自分は濡れても原稿は濡らすなと教 わりました。

「バイクある?カッパは?じゃ明日から来て」

就職活動に失敗し大学を卒業した春から途方に暮れていた私にとって、嘘みたいに簡単に決まったプレスライダーの仕事。当時はバイクがあったから食べていくことができました。夜勤もあり、事故も多く、相棒のバイクがローンを残して他界(廃車)したり、自身も骨折したりとキツイ時もありましたが、「自分も走ってなんぼ のプロライダー」。バイクで稼げている喜びはありました。

現場で原稿をもらって、停めてある自分のバイクに戻ってきた時、日本でまだ誰も見ていない未来の紙面の一部を、吹けば飛ぶような自分とバイクの、この小さいユニットが運ぶんだと思うと、なんだか愉快でした。

新聞を運ぶ側から作る側に回ったわけですが、この仕事に就いて、必ずしも社会生活に欠かせないものと言えないバイクなのに、それを生業とする人は大勢いることを実感しています。車両・部品・用品メーカー、販売店、レースなどのスポーツ・レジャー関係、行政や組合などの団体、そして媒体関係など、それこそ世界中にいます。

初心忘るべからず。“職業として二輪で走ることも経験してきた新聞の作り手”として、これからも業界のみなさんの役に立つ紙面を作っていきたいと思っています。

画像: 当時使っていた先輩からもらったタンクバッグ。台座の部分が丸くくりぬいてあって、バッグを片側だけはずせばタンクキャップを開けて給油ができた。この台座とバッグの間に平たく畳んだカッパを装着。畳み方は先輩の直伝だった。

当時使っていた先輩からもらったタンクバッグ。台座の部分が丸くくりぬいてあって、バッグを片側だけはずせばタンクキャップを開けて給油ができた。この台座とバッグの間に平たく畳んだカッパを装着。畳み方は先輩の直伝だった。

二輪車新聞記者 猪首俊幸

This article is a sponsored article by
''.